心づいたあと、――その際《きわ》どい中間《ちゅうかん》に起った心持ちである。この景色はかように暢達《のびのび》して、かように明白で、今までの自分の情緒《じょうしょ》とは、まるで似つかない、景気のいいものであったが、自身の魂がおやと思って、本気にこの外界《げかい》に対《むか》い出したが最後、いくら明かでも、いくら暢《のん》びりしていても、全く実世界の事実となってしまう。実世界の事実となるといかな御光《ごこう》でもありがた味が薄くなる。仕合せな事に、自分は自分の魂が、ある特殊の状態にいたため――明かな外界を明かなりと感受するほどの能力は持ちながら、これは実感であると自覚するほど作用が鋭くなかったため――この真直な道、この真直な軒を、事実に等しい明かな夢と見たのである。この世でなければ見る事の出来ない明瞭な程度と、これに伴う爽涼《はっきり》した快感をもって、他界の幻影《まぼろし》に接したと同様の心持になったのである。自分は大きな往来の真中に立っている。その往来はあくまでも長くって、あくまでも一本筋に通っている。歩いて行けばその外《はずれ》まで行かれる。たしかにこの宿《しゅく》を通り抜ける事は
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