ったのである。
第一には大道砥《だいどうと》のごとしと、成語にもなってるくらいで、平たい真直な道は蟠《わだか》まりのない爽《さわやか》なものである。もっと分り安く云うと、眼を迷《まご》つかせない。心配せずにこっちへ御出《おいで》と誘うようにでき上ってるから、少しも遠慮や気兼《きがね》をする必要がない。ばかりじゃない。御出と云うから一本筋の後《あと》を喰ッついて行くと、どこまでも行ける。奇体な事に眼が横町へ曲りたくない。道が真直に続いていればいるほど、眼も真直に行かなくっては、窮屈でかつ不愉快である。一本の大道は眼の自由行動と平行して成り上ったものと自分は堅く信じている。それから左右の家並《いえなみ》を見ると、――これは瓦葺《かわらぶき》も藁葺《わらぶき》もあるんだが――瓦葺だろうが、藁葺だろうが、そんな差別はない。遠くへ行けば行くほどしだいしだいに屋根が低くなって、何百軒とある家が、一本の針金で勾配《こうばい》を纏《まと》められるために向うのはずれからこっちまで突き通されてるように、行儀よく、斜《はす》に一筋を引っ張って、どこまでも進んでいる。そうして進めば進むほど、地面に近寄ってく
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