と気がついて立ち上った。魂が地の底へ抜け出して行く途中でも、手足に血が通《かよ》ってるうちは、呼ぶと返って来るからおかしなものだ。しかしこれがもう少し烈《はげ》しくなると、なかなか思うように魂が身体《からだ》に寄りついてくれない。その後《ご》台湾沖で難船した時などは、ほとんど魂に愛想《あいそ》を尽かされて、非常な難義をした事がある。何《なん》にでも上には上があるもんだ。これが行き留りだの、突き当りだのと思って、安心してかかると、とんだ目に逢う。しかしこの時はこの心持が自分に取ってもっとも新しくて、しかもはなはだ苦《にが》い経験であった。
 長蔵さんのどてら[#「どてら」に傍点]の尻を嗅《か》ぎながら改札場から表へ出ると、大きな宿《しゅく》の通りへ出た。一本筋の通りだが存外広い、ばかりではない、心持の判然《はっきり》するほど真直《まっすぐ》である。自分はこの広い往還《おうかん》の真中に立って遥《はる》か向うの宿外《しゅくはずれ》を見下《みおろ》した。その時一種妙な心持になった。この心持ちも自分の生涯《しょうがい》中にあって新らしいものであるから、ついでにここに書いて置く。自分は肺の底が抜
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