も自分の腹の底には、長蔵さんにさえ食っついてさえおれば、どうかしてくれるんだろうと云う依頼心が妙に潜《ひそ》んでいたんだろう。ただし自分じゃけっしてそう思っていなかった。今でもそうだとは自分の事ながら申しにくい。けれども、こう云う安心がないとすれば、いくら馬鹿だって、十九だって、停車場《ステーション》へ来て汽車賃の汽[#「汽」に傍点]の字も考えずにいられるもんじゃない。その癖こんなに依頼している長蔵さんに対して、もう御世話にならなくっても、好うございますの、これから一人で行きますのと平《ひら》に同行を断ったのは、どう云う了簡《りょうけん》だろう。自分はこう云う場合にたびたび出逢《であ》ってから、しまいには自分で一つの理論を立てた。――病気に潜伏期があるごとく、吾々《われわれ》の思想や、感情にも潜伏期がある。この潜伏期の間には自分でその思想を有《も》ちながら、その感情に制せられながら、ちっとも自覚しない。またこの思想や感情が外界の因縁《いんねん》で意識の表面へ出て来る機会がないと、生涯《しょうがい》その思想や感情の支配を受けながら、自分はけっしてそんな影響を蒙《こうぶ》った覚《おぼえ》が
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