ないと主張する。その証拠はこの通りと、どしどし反対の行為言動をして見せる。がその行為言動が、傍《はた》から見ると矛盾になっている。自分でもはてなと思う事がある。はてなと気がつかないでもとんだ苦しみを受ける場合が起ってくる。自分が前に云った少女に苦しめられたのも、元はと云えば、やっぱりこの潜伏者を自覚し得なかったからである。この正体の知れないものが、少しも自分の心を冒《おか》さない先に、劇薬でも注射して、ことごとく殺し尽す事が出来たなら、人間幾多の矛盾や、世上幾多の不幸は起らずに済んだろうに。ところがそう思うように行かんのは、人にも自分にも気の毒の至りである。
それで、自分が長蔵さんから「御前さん汽車賃を持っていなさるか」と問われた時に、自分ははっと思って、少からず狼狽《うろた》えた。三十二銭のうちで饅頭《まんじゅう》の代と茶代を引くと何にもありゃしない。汽車賃もない癖に、坑夫になろうなんて呑込顔《のみこみがお》に受合ったんだから、自分は少し図迂図迂《ずうずう》しい人間であったんだと気がついたら、急に頬辺《ほっぺた》が熱くなった。その時分の事を考えると自分ながら可愛らしい。これが今だっ
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