らいは承知していたが、地獄で仏と云う諺《ことわざ》も記憶していたが、窮《きわ》まれば通ずという熟語も習った事があるが、困った時は誰か来て助けてくれそうなものだくらいに思って、芝居気を起しては困っていた事もたびたびあるが、――この時はまるで違う。真から一万人を畜生と思い込んで、その畜生がまたことごとく自分の敵だと考え詰めた最強度の断案を、忘るべからざる痛忿《つうふん》の焔《ほのお》で、胸に焼きつけた折柄だから、なおさらこの安さんに驚かされた。同時に安さんの訓戒が、自分の初志を一度に翻《ひるが》えし得るほどの力をもって、自分の耳に応《こた》えた。
 しばらくは二人して黙っていた。安さんは一応云うだけの事を云ってしまったんだから、口を利《き》かないはずであるが、自分は先方に対して、何とか返事をする義務がある。義務をかいては安さんに済まない。心底《しんそこ》から感謝の意を表《ひょう》した上で、自分の考えも少し聞いてもらいたいのは山々であったが、何分にも鼻の奥が詰って不自由である。しかも強《し》いて言葉を出そうとすると、口へ出ないで鼻へ抜けそうになる。それを我慢すると、唇の両端《りょうはじ》がむ
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