れはと少し気味が悪くなり掛ける途端《とたん》に、向うの顔は急に真面目《まじめ》になった。今まで茶店の婆さんとさる面白い話をしていて、何の気もつかずに、ついそのままの顔を往来へ向けた時に、ふと自分の面相に出《で》っ喰《くわ》したものと見える。ともかく向うが真面目になったのでようやく安心した。安心したと思う間《ま》もなくまた気味が悪くなった。男は真面目になった顔を真面目な場所に据《す》えたまま、白眼《しろめ》の運動が気に掛かるほどの勢いで自分の口から鼻、鼻から額《ひたい》とじりじり頭の上へ登って行く。鳥打帽の廂《ひさし》を跨《また》いで、脳天まで届いたと思う頃また白眼がじりじり下へ降《さが》って来た。今度は顔を素通りにして胸から臍《へそ》のあたりまで来るとちょっと留まった。臍の所には蟇口《がまぐち》がある。三十二銭|這入《はい》っている。白い眼は久留米絣《くるめがすり》の上からこの蟇口を覘《ねら》ったまま、木綿《もめん》の兵児帯《へこおび》を乗り越してやっと股倉《またぐら》へ出た。股倉から下にあるものは空脛《からすね》ばかりだ。いくら見たって、見られるようなものは食《く》ッ附《つ》いちゃい
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