》には三十二銭這入っている、何か食おうかしらと考えていると
「君、煙草《たばこ》を呑むかい」
と、どてら[#「どてら」に傍点]が「朝日」の袋を横から差し出した。なかなか御世辞がいい。袋の角《かど》が裂けてるのは仕方がないが、何だか薄穢《うすぎた》なく垢《あか》づいた上に、びしゃりと押し潰《つぶ》されて、中にある煙草がかたまって、一本になってるように思われる。袖《そで》のないどてら[#「どてら」に傍点]だから、入れ所に窮して腹掛《はらがけ》の隠しへでも捩《ね》じ込んで置くものと見える。
「ありがとう、たくさんです」
と断ると、どてら[#「どてら」に傍点]は別に失望の体《てい》もなく、自分でかたまったうちの一本を、爪垢《つめあか》のたまった指先で引っ張り出した。はたせるかな煙草は皺《しわ》だらけになって、太刀《たち》のように反《そ》っている。それでも破けた所もないと見えて、すぱすぱ吸うと鼻から煙《けむ》が出る。際《きわ》どいところで煙草の用を足しているから不思議だ。
「御前さん、幾年《いくつ》になんなさる」
 どてら[#「どてら」に傍点]は自分の事を御前さんと云ったり君と云ったりするようだ
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