た答である。大抵の事ならやって退《の》けるが、万一の場合には逃げを張る気と見えた。だからやりますと云わずにやる気です[#「気です」に傍点]と云ったんだろう。――こう自分の事を人の事のように書くのは何となく変だが、元来人間は締りのないものだから、はっきりした事はいくら自分の身の上だって、こうだとは云い切れない。まして過去の事になると自分も人も区別はありゃしない。すべてがだろう[#「だろう」に傍点]に変化してしまう。無責任だと云われるかも知れないが本当だから仕方がない。これからさきも危《あや》しいところはいつでもこの式で行くつもりだ。
 そこでどてら[#「どてら」に傍点]は略《ほぼ》話が纏《まとま》ったものと呑《の》み込んで
「じゃ、まあ御這入《おはい》り。緩《ゆっ》くり御茶でも呑《の》んで話すから」
と云う。別に異存もないから、茶店に這入ってどてら[#「どてら」に傍点]の隣りに腰をおろしたら、口のゆがんだ四十ばかりの神《かみ》さんが妙な臭《にお》いのする茶を汲んで出した。茶を飲んだら、急に思い出したように腹が減って来た。減って来たのか、減っていたのに気がついたのか分らない。蟇口《がまぐち
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