みならず袷《あわせ》一枚ではなはだ寒い。寒いのは、この五月の空に、かんかん炭を焼《た》いて獰猛共が囲炉裏《いろり》へあたってるんでも分る。自分は仕方がないからてれ[#「てれ」に傍点]隠《かく》しに襯衣《シャツ》の釦《ボタン》をはずして腋《わき》の下へ手を入れたり、膝《ひざ》を立てて、足の親指を抓《つね》って見たり、あるいは腿《もも》の所を両手で揉《も》んで見たり、いろいろやっていた。こう云う時に、落ついた顔をして――顔ばかりじゃいけない、心《しん》から落ちついて、平気で坐ってる修業をして置かないと、大きな損だ。しかし、十九や、そこいらではとうてい覚束《おぼつか》ない芸だから、自分はやむを得ず。前記の通りいろいろ馬鹿な真似《まね》をしていると、突然、
「おい」
と呼んだものがある。自分はこの時ちょうど下を向いて鳴海絞《なるみしぼり》の兵児帯《へこおび》を締め直していたが、この声を聞くや否や、電気仕掛の顔のように、首筋が急に釣った。見るとさっきの顔揃《かおぞろい》で、眼がみんなこっちを向いて、光ってる。「おい」と云う声は、どの顔から出たものか分らないが、どの顔から出たにしても大した変りはな
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