けて、長蔵さんと赤毛布《あかげっと》が草鞋《わらじ》の紐《ひも》を結ぶのを、不景気な懐手《ふところで》をして待っていた。
土間へ下りた以上は、顔を洗わないのかの、朝飯《あさめし》を食わないのかのと、当然の事を聞くのが、さも贅沢《ぜいたく》の沙汰《さた》のように思われて、とんと質問して見る気にならない。習慣の結果、必要とまで見做《みな》されているものが、急に余計な事になっちまうのはおかしいようだが、その後《のち》この顛倒《てんとう》事件を布衍《ふえん》して考えて見たら、こんな、例はたくさんある。つまり世の中では大勢のやってる事が当然になって、一人だけでやる事が余計のように思われるんだから、当然になろうと思ったら味方を大勢|拵《こしら》えて、さも当然であるかの容子《ようす》で不当な事をやるに限る。やっては見ないがきっと成功するだろう。相手が長蔵さんと赤毛布でさえ自分にはこれほどの変化を来たしたんでも分る。
すると長蔵さんは草鞋の紐を結んで、足元に用がなくなったもんだから、ふいと顔を上げた。そうして自分を見た。そうして、こんな事を云う。
「御前さん、飯は食わなくっても好いだろうね」
飯
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