りゃしない。それから人も試験して見た。ところがやっぱり自分と同じようにできている。苦情を持ち込んでくるものが、みんな苦情を持ち込まれてしかるべき人間なんだからおかしくなる。要するに御腹《おなか》が減って飯が食いたくなって、御腹が張ると眠くなって、窮《きゅう》して濫《らん》して、達して道を行《おこな》って、惚《ほ》れていっしょになって、愛想《あいそ》が尽きて夫婦別れをするまでの事だから、ことごとく臨機応変の沙汰《さた》である。人間の特色はこれよりほかにありゃしない。と、こう感服しているんだから、ちょっと言って見たまでである。しかし世の中には学者だの坊主だの教育家だのと云うむずかしい仲間がだいぶいて、それぞれ専門に研究している事だから、自分だけ、訳の分ったように弁じ立てては善くない。
 そこで元気のいい今の気焔《きえん》をやめて、再びもとの神妙《しんびょう》な態度に復して、山の中の話をする。長蔵さんが敷居の上に立って、往来を向きながら、ここへ泊って行こうと云い出した時、こんな破屋《あばらや》でも泊る事が出来るんだったと、始めて意識したよりも、すべての家と云うものが元来《がんらい》泊るために
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