神妙にならんとは限らない。――抜けそうな足を棒のように立てて聞くと、がんと鳴ってる耳の中へ、遠くからさあさあ水音が這入《はい》ってくる。自分はますます神妙になった。
 この状態でだいぶ来た。何里だか見当《けんとう》のつかないほど来た。夜道だから平生《へいぜい》よりは、ただでさえ長く思われる上へ持ってきて、凸凹《でこぼこ》の登りを膨《ふくら》っ脛《ぱぎ》が腫《は》れて、膝頭《ひざがしら》の骨と骨が擦《す》れ合って、股《もも》が地面《じびた》へ落ちそうに歩くんだから、長いの、長くないのって――それでも、生きてる証拠には、どうか、こうか、長蔵さんの尻を五六間と離れずに、やって来た。これはただ神妙に自己を没却した諦《あきらめ》の体《てい》たらくから生じた結果ではない。五六間以上|後《おく》れると、長蔵さんが、振り返って五六歩ずつは待合してくれるから、仕方なしに追いつくと、追いつかない先に向うはまた歩き出すんで、やむを得ずだらだら、ちびちびに自己を奮興《ふんこう》させた成行《なりゆき》に過ぎない。それにしても長蔵さんは、よく後《うしろ》が見えたもんだ。ことに夜中《やちゅう》である。右も左も黒い木
前へ 次へ
全334ページ中108ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング