けおち》をしずに、可愛らしい坊ちゃんとしておとなしく成人したなら、――自分の心の始終《しじゅう》動いているのも知らずに、動かないもんだ、変らないもんだ、変っちゃ大変だ、罪悪だなどとくよくよ思って、年を取ったら――ただ学問をして、月給をもらって、平和な家庭と、尋常な友達に満足して、内省の工夫を必要と感ずるに至らなかったら、また内省ができるほどの心機転換の活作用に見参《げんざん》しなかったならば――あらゆる苦痛と、あらゆる窮迫と、あらゆる流転《るてん》と、あらゆる漂泊《ひょうはく》と、困憊《こんぱい》と、懊悩《おうのう》と、得喪《とくそう》と、利害とより得たこの経験と、最後にこの経験をもっとも公明に解剖して、解剖したる一々を、一々に批判し去る能力がなかったなら――ありがたい事に自分はこの至大なる賚《たまもの》を有《も》っている、――すべてこれらがなかったならば、自分はこんな思い切った事を云やしない。いくら思い切った事を云ったって自慢にゃならない。ただこの通りだからこの通りだと云うまでである。その代り昔し神妙《しんびょう》なものが、今横着になるくらいだから、今の横着がいつ何時《なんどき》また
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