どもと》過ぐれば熱さを忘れると云って、よく、忘れては怪《け》しからんように持ち掛けてくるが、あれは忘れる方が当り前で、忘れない方が嘘《うそ》である。こう云うと詭弁《きべん》のように聞えるが、詭弁でもなんでもない。正直正銘《しょうじきしょうめい》のところを云うんである。いったい人間は、自分を四角張った不変体《ふへんたい》のように思い込み過ぎて困るように思う。周囲の状況なんて事を眼中に置かないで、平押《ひらおし》に他人《ひと》を圧《お》しつけたがる事がだいぶんある。他人なら理窟《りくつ》も立つが、自分で自分をきゅきゅ云う目に逢《あ》わせて嬉《うれ》しがってるのは聞えないようだ。そう一本調子にしようとすると、立体世界を逃げて、平面国へでも行かなければならない始末が出来てくる。むやみに他人の不信とか不義とか変心とかを咎《とが》めて、万事万端向うがわるいように噪《さわ》ぎ立てるのは、みんな平面国に籍を置いて、活版に印刷した心を睨《にら》んで、旗を揚《あ》げる人達である。御嬢さん、坊っちゃん、学者、世間見ず、御大名、にはこんなのが多くて、話が分り悪《にく》くって、困るもんだ。自分もあの時|駆落《か
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