明しているとも解釈が出来る。もし全然無能でなくとも人間以上の能力はcIてない者であると断定が出来るだろうと思う。神が人間の数だけそれだけ多くの顔を製造したと云うが、当初から胸中に成算があってかほどの変化を示したものか、または猫も杓子《しゃくし》も同じ顔に造ろうと思ってやりかけて見たが、とうてい旨《うま》く行かなくて出来るのも出来るのも作り損《そこ》ねてこの乱雑な状態に陥《おちい》ったものか、分らんではないか。彼等顔面の構造は神の成功の紀念と見らるると同時に失敗の痕迹《こんせき》とも判ぜらるるではないか。全能とも云えようが、無能と評したって差し支えはない。彼等人間の眼は平面の上に二つ並んでいるので左右を一時《いちじ》に見る事が出来んから事物の半面だけしか視線内に這入《はい》らんのは気の毒な次第である。立場を換《か》えて見ればこのくらい単純な事実は彼等の社会に日夜間断なく起りつつあるのだが、本人|逆《のぼ》せ上がって、神に呑《の》まれているから悟りようがない。製作の上に変化をあらわすのが困難であるならば、その上に徹頭徹尾の模傚《もこう》を示すのも同様に困難である。ラファエルに寸分違わぬ聖母
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