分が研究を積んで甲の説から乙の説に移りまた乙から丙に進んで、毫《ごう》も流行を追うの陋態《ろうたい》なく、またことさらに新奇を衒《てら》うの虚栄心なく、全く自然の順序階級を内発的に経て、しかも彼ら西洋人が百年もかかってようやく到着し得た分化の極端に、我々が維新後四五十年の教育の力で達したと仮定する。体力脳力共に吾らよりも旺盛《おうせい》な西洋人が百年の歳月を費したものを、いかに先駆の困難を勘定《かんじょう》に入れないにしたところでわずかその半《なかば》に足らぬ歳月で明々地に通過し了《おわ》るとしたならば吾人はこの驚くべき知識の収穫を誇り得ると同時に、一敗また起《た》つ能《あた》わざるの神経衰弱に罹《かか》って、気息奄々《きそくえんえん》として今や路傍に呻吟《しんぎん》しつつあるは必然の結果としてまさに起るべき現象でありましょう。現に少し落ちついて考えてみると、大学の教授を十年間一生懸命にやったら、たいていの者は神経衰弱に罹《かか》りがちじゃないでしょうか。ピンピンしているのは、皆|嘘《うそ》の学者だと申しては語弊があるが、まあどちらかと云えば神経衰弱に罹る方が当り前のように思われます。
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