分はいくら己惚《うぬぼ》れてみても上滑《うわすべ》りと評するより致し方がない。しかしそれが悪いからお止《よ》しなさいと云うのではない。事実やむをえない、涙を呑《の》んで上滑りに滑って行かなければならないと云うのです。
それでは子供が背《せな》に負われて大人といっしょに歩くような真似をやめて、じみちに発展の順序を尽して進む事はどうしてもできまいかという相談が出るかも知れない。そういう御相談が出れば私も無い事もないと御答をする。が西洋で百年かかってようやく今日に発展した開化を日本人が十年に年期をつづめて、しかも空虚の譏《そしり》を免《まぬ》かれるように、誰が見ても内発的であると認めるような推移をやろうとすればこれまた由々しき結果に陥《おちい》るのであります。百年の経験を十年で上滑《うわすべ》りもせずやりとげようとするならば年限が十分一に縮《ちぢ》まるだけわが活力は十倍に増さなければならんのは算術の初歩を心得たものさえ容易《たやす》く首肯するところである。これは学問を例に御話をするのが一番早分りである。西洋の新らしい説などを生噛《なまかじ》りにして法螺《ほら》を吹くのは論外として、本当に自
前へ
次へ
全41ページ中36ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング