学者を例に引いたのは単に分りやすいためで、理窟《りくつ》は開化のどの方面へも応用ができるつもりです。
 すでに開化と云うものがいかに進歩しても、案外その開化の賜《たまもの》として吾々の受くる安心の度は微弱なもので、競争その他からいらいらしなければならない心配を勘定《かんじょう》に入れると、吾人の幸福は野蛮時代とそう変りはなさそうである事は前《ぜん》御話しした通りである上に、今言った現代日本が置かれたる特殊の状況に因《よ》って吾々の開化が機械的に変化を余儀なくされるためにただ上皮《うわかわ》を滑って行き、また滑るまいと思って踏張《ふんば》るために神経衰弱になるとすれば、どうも日本人は気の毒と言わんか憐《あわ》れと言わんか、誠に言語道断の窮状に陥ったものであります。私の結論はそれだけに過ぎない。ああなさいとか、こうしなければならぬとか云うのではない。どうすることもできない、実に困ったと嘆息するだけで極めて悲観的の結論であります。こんな結論にはかえって到着しない方が幸であったのでしょう。真と云うものは、知らないうちは知りたいけれども、知ってからはかえってアア知らない方がよかったと思う事が時々
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