とはなはだむずかしげなものも皆道楽の発現に過ぎないのであります。
 この二様の精神すなわち義務の刺戟に対する反応としての消極的な活力節約とまた道楽の刺戟に対する反応としての積極的な活力消耗とが互に並び進んで、コンガラカッて変化して行って、この複雑|極《きわま》りなき開化と云うものができるのだと私は考えています。その結果は現に吾々が生息している社会の実況を目撃すればすぐ分ります。活力節約の方から云えばできるだけ労働を少なくしてなるべくわずかな時間に多くの働きをしようしようと工夫する。その工夫が積《つも》り積って汽車汽船はもちろん電信電話自動車大変なものになりますが、元を糺《ただ》せば面倒を避けたい横着心の発達した便法に過ぎないでしょう。この和歌山市から和歌の浦までちょっと使いに行って来いと言われた時に、出来得るなら誰しも御免蒙《ごめんこうむ》りたい。がどうしても行かなければならないとすればなるべく楽に行きたい、そうして早く帰りたい。できるだけ身体《からだ》は使いたくない。そこで人力車もできなければならない訳になります。その上に贅沢《ぜいたく》を云えば自転車にするでしょう。なおわがままを云
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