7−64]が見える。「火事だ!」とウィリアムは思わず叫ぶ。火事は構わぬが今心の眼に思い浮べた※[#「(諂−言)+炎」、第3水準1−87−64]の中にはクララの髪の毛が漾《ただよ》っている。何故あの火の中へ飛び込んで同じ所で死ななかったのかとウィリアムは舌打ちをする。「盾の仕業《しわざ》だ」と口の内でつぶやく。見ると盾は馬の頭を三尺ばかり右へ隔てて表を空にむけて横わっている。
「これが恋の果か、呪《のろ》いが醒めても恋は醒めぬ」とウィリアムは又額を抑えて、己れを煩悶《はんもん》の海に沈める。海の底に足がついて、世に疎《うと》きまで思い入るとき、何処《いずく》よりか、微《かす》かなる糸を馬の尾で摩《こす》る様な響が聞える。睡るウィリアムは眼を開いてあたりを見廻す。ここは何処とも分らぬが、目の届く限りは一面の林である。林とは云え、枝を交えて高き日を遮ぎる一|抱《かか》え二抱えの大木はない。木は一坪に一本位の割でその大《おおき》さも径六七寸位のもののみであろう。不思議にもそれが皆同じ樹である。枝が幹の根を去る六尺位の所から上を向いて、しなやかな線を描いて生えている。その枝が聚《あつ》まって、中
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