かりじゃ。人か馬か形か影かと惑うな、只呪いその物の吼《たけ》り狂うて行かんと欲する所に行く姿と思え。
 ウィリアムは何里飛ばしたか知らぬ。乗り斃した馬の鞍に腰を卸して、右手《めて》に額を抑えて何事をか考え出《いだ》さんと力《つと》めている。死したる人の蘇《よみがえ》る時に、昔しの我と今の我との、あるは別人の如く、あるは同人の如く、繋《つな》ぐ鎖りは情けなく切れて、然《しか》も何等かの関係あるべしと思い惑う様である。半時なりとも死せる人の頭脳には、喜怒哀楽の影は宿るまい。空《むな》しき心のふと吾に帰りて在りし昔を想い起せば、油然《ゆうぜん》として雲の湧《わ》くが如くにその折々は簇《むら》がり来《きた》るであろう。簇がり来るものを入るる余地あればある程、簇がる物は迅速に脳裏を馳け廻《めぐ》るであろう。ウィリアムが吾に醒《さ》めた時の心が水の如く涼しかっただけ、今思い起すかれこれも送迎に遑《いとま》なきまで、糸と乱れてその頭を悩ましている。出陣、帆柱の旗、戦……と順を立てて排列して見る。皆事実としか思われぬ。「その次に」と頭の奧を探るとぺらぺらと黄色な※[#「(諂−言)+炎」、第3水準1−8
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