る。とまる前足に力余りて堅き爪の半ばは、斜めに土に喰い入る。盾に当る鼻づらの、二寸を隔てて夜叉の面に火の息を吹く。「四つ足も呪われたか」とウィリアムは我とはなしに鬣《たてがみ》を握りてひらりと高き脊に跨《また》がる。足乗せぬ鐙《あぶみ》は手持無沙汰に太腹を打って宙に躍る。この時何物か「南の国へ行け」と鉄|被《き》る剛《かた》き手を挙げて馬の尻をしたたかに打つ。「呪われた」とウィリアムは馬と共に空《くう》を行く。
ウィリアムの馬を追うにあらず、馬のウィリアムに追わるるにあらず、呪いの走るなり。風を切り、夜を裂き、大地に疳《かん》走《ばし》る音を刻んで、呪いの尽くる所まで走るなり。野を走り尽せば丘に走り、丘を走り下れば谷に走り入る。夜は明けたのか日は高いのか、暮れかかるのか、雨か、霰《あられ》か、野分《のわき》か、木枯か――知らぬ。呪いは真一文字に走る事を知るのみじゃ。前に当るものは親でも許さぬ、石蹴る蹄《ひづめ》には火花が鳴る。行手を遮《さえぎ》るものは主《しゅ》でも斃《たお》せ、闇吹き散らす鼻嵐を見よ。物凄き音の、物凄き人と馬の影を包んで、あっと見る睫《まつげ》の合わぬ間に過ぎ去るば
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