き髪の斜めにかかる下から、鋭どく光る二つの眼《まなこ》が遠慮なく部屋の中へ進んで来る。
「わしじゃ」とシワルドが、進めぬ先から腰懸の上にどさと尻を卸す。「今日の晩食に顔色が悪う見えたから見舞に来た」と片足を宙にあげて、残れる膝の上に置く。
「さした事もない」とウィリアムは瞬《またた》きして顔をそむける。
「夜鴉《よがらす》の羽搏《はばた》きを聞かぬうちに、花多き国に行く気はないか」とシワルドは意味|有気《ありげ》に問う。
「花多き国とは?」
「南の事じゃ、トルバダウの歌の聞ける国じゃ」
「主《ぬし》がいにたいと云うのか」
「わしは行かぬ、知れた事よ。もう六つ、日の出を見れば、夜鴉の栖《す》を根から海へ蹴落《けおと》す役目があるわ。日の永い国へ渡ったら主の顔色が善くなろうと思うての親切からじゃ。ワハハハハ」とシワルドは傍若無人に笑う。
「鳴かぬ烏の闇に滅《め》り込むまでは……」と六尺一寸の身をのして胸板を拊《う》つ。
「霧深い国を去らぬと云うのか。その金色の髪の主となら満更|嫌《いや》でもあるまい」と丸テーブルの上を指《ゆびさ》す。テーブルの上にはクララの髪が元の如く乗っている。内懐《う
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