るクララの金毛を三たび盾に向って振りながら「盾! 最後の望は幻影《まぼろし》の盾にある」と叫んだ。
戦は潮《うしお》の河に上る如く次第に近付いて来る。鉄を打つ音、鋼《はがね》を鍛《きた》える響、槌《つち》の音、やすり[#「やすり」に傍点]の響は絶えず中庭の一隅に聞える。ウィリアムも人に劣らじと出陣の用意はするが、時には殺伐な物音に耳を塞《ふさ》いで、高き角櫓《すみやぐら》に上《のぼ》って遙《はる》かに夜鴉の城の方を眺める事がある。霧深い国の事だから眼に遮《さえ》ぎる程の物はなくても、天気の好い日に二十|哩《マイル》先は見えぬ。一面に茶渋を流した様な曠《こう》野《や》が逼《せま》らぬ波を描いて続く間に、白金《しろがね》の筋が鮮《あざや》かに割り込んでいるのは、日毎の様に浅瀬を馬で渡した河であろう。白い流れの際立ちて目を牽《ひ》くに付けて、夜鴉の城はあの見当だなと見送る。城らしきものは霞《かすみ》の奥に閉じられて眸底《ぼうてい》には写らぬが、流るる銀《しろがね》の、烟《けむり》と化しはせぬかと疑わるまで末広に薄れて、空と雲との境に入る程は、翳《かざ》したる小手《こて》の下より遙かに双の眼
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