。身体《からだ》は肩深く水に浸《ひた》っている。頭の上には旨《うま》そうな菓物《くだもの》が累々《るいるい》と枝をたわわに結実《な》っている。タンタラスは咽喉《のど》が渇《かわ》く。水を飲もうとすると水が退《ひ》いて行く。タンタラスは腹が減る。菓物を食おうとすると菓物が逃げて行く。タンタラスの口が一尺動くと向うでも一尺動く。二尺|前《すす》むと向うでも二尺前む。三尺四尺は愚か、千里を行き尽しても、タンタラスは腹が減り通しで、咽喉が渇き続けである。おおかた今でも水と菓物を追っ懸《か》けて歩いてるだろう。――未来の管を覗くたびに、小野さんは、何だかタンタラスの子分のような気がする。それのみではない。時によると藤尾さんがつんと澄ましている事がある。長い眉《まゆ》を押しつけたように短かくして、屹《きっ》と睨《にら》めている事がある。柘榴石がぱっと燃えて、※[#「陷のつくり+炎」、第3水準1−87−64]のなかに、女の姿が、包まれながら消えて行く事がある。博士の二字がだんだん薄くなって剥《は》げながら暗くなる事がある。時計が遥《はる》かな天から隕石《いんせき》のように落ちて来て、割れる事がある。
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