。鱧ぐらいなら帰らなくってもいい。しかし君の嗅覚《きゅうかく》は非常に鋭敏だね。鱧の臭がするかい」
「するじゃないか。台所でしきりに焼いていらあね」
「そのくらい虫が知らせると阿爺《おやじ》も外国で死ななくっても済んだかも知れない。阿爺は嗅覚が鈍かったと見える」
「ハハハハ。時に御叔父さんの遺物はもう、着いたか知ら」
「もう着いた時分だね。公使館の佐伯《さえき》と云う人が持って来てくれるはずだ。――何にもないだろう――書物が少しあるかな」
「例の時計はどうしたろう」
「そうそう。倫敦《ロンドン》で買った自慢の時計か。あれは多分来るだろう。小供の時から藤尾の玩具《おもちゃ》になった時計だ。あれを持つとなかなか離さなかったもんだ。あの鏈《くさり》に着いている柘榴石《ガーネット》が気に入ってね」
「考えると古い時計だね」
「そうだろう、阿爺が始めて洋行した時に買ったんだから」
「あれを御叔父さんの片身《かたみ》に僕にくれ」
「僕もそう思っていた」
「御叔父さんが今度洋行するときね、帰ったら卒業祝にこれを御前にやろうと約束して行ったんだよ」
「僕も覚えている。――ことによると今頃は藤尾が取って
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