致すとき、一般の幸福を促《うな》がして、社会を真正の文明に導くが故に、悲劇は偉大である。
 問題は無数にある。粟《あわ》か米か、これは喜劇である。工か商か、これも喜劇である。あの女かこの女か、これも喜劇である。綴織《つづれおり》か繻珍《しゅちん》か、これも喜劇である。英語か独乙語《ドイツご》か、これも喜劇である。すべてが喜劇である。最後に一つの問題が残る。――生か死か。これが悲劇である。
 十年は三千六百日である。普通の人が朝から晩に至って身心を労する問題は皆喜劇である。三千六百日を通して喜劇を演ずるものはついに悲劇を忘れる。いかにして生を解釈せんかの問題に煩悶《はんもん》して、死の一字を念頭に置かなくなる。この生とあの生との取捨に忙がしきが故に生と死との最大問題を閑却する。
 死を忘るるものは贅沢《ぜいたく》になる。一浮《いっぷ》も生中である。一沈《いっちん》も生中である。一挙手も一投足もことごとく生中にあるが故に、いかに踊るも、いかに狂うも、いかにふざけるも、大丈夫生中を出ずる気遣《きづかい》なしと思う。贅沢は高《こう》じて大胆となる。大胆は道義を蹂躙《じゅうりん》して大自在《だい
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