づ》くる汽車がかかって、理性の楷段《かいだん》を自由に上下する方便《ほうべん》が開けないと、御互の考《かんがえ》は御互に分らない。ある時は俗社会の塩漬になり過ぎて、ただ見てさえも冥眩《めんけん》しそうな人間でないと、人間として通用しない事がある。それは嘘《うそ》だ偽《いつわり》だと説いて聞かしてもなかなか承知しない。どこまでも塩漬趣味を主張する。――謎《なぞ》の女と糸子の応対は、どこまで行っても並行するだけで一点には集まらない。山の男と海の男が魚に対して根本的の観念を異《こと》にするごとく、謎の女と糸子とは、人間に対して冒頭《あたま》から考が違う。
 海と山とを心得た甲野さんは黙って二人を見下《みおろ》している。糸子の云うところは弁護の出来ぬほど簡単である。母の主張は愛想《あいそ》のつきるほど愚にしてかつ俗である。この二人の問答を前に控えて、甲野さんは阿爺《おやじ》の額を抱いたまま立っている。別段退屈した気色《けしき》も見えない。焦慮《じれっ》たそうな様子もない。困ったと云う風情《ふぜい》もない。二人の問答が、日暮まで続けば、日暮まで額を持って、同じ姿勢で、立っているだろうと思われる。
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