返して見る。
欽吾は尻眼に母をじろりと眺《なが》めた。机の角に引き寄せた椅子の背に、うんと腕の力を入れた。ひらりと紺足袋《こんたび》が白い日蔽《ひおい》の上に揃《そろ》った。揃った紺足袋はすぐ机の上に飛び上る。
「おや、何をするの」と母は手紙の断片を持ったまま、下から仰向《あおむ》いた。眼と眼の間に怖《おそれ》の色が明かに読まれた。
「額を卸《おろ》します」と上から落ちついて云う。
「額を?」
怖《おそれ》は愕《おどろき》と変じた。欽吾は鍍金《ときん》の枠《わく》に右の手を懸《か》けた。
「ちょいと御待ち」
「何ですか」と右の手はやはり枠に懸っている。
「額を外《はず》して何にする気だい」
「持って行くんです」
「どこへ」
「家《うち》を出るから、額だけ持って行くんです」
「出るなんて、まあ。――出るにしても、もっと緩《ゆっくり》外《はず》したら宜《よ》さそうなもんじゃないか」
「悪いですか」
「悪くはないよ。御前が欲しければ持って行くが、いいけれども。何もそんなに急がなくっても好いんだろう」
「だって今外さなくっちゃ、時間がありません」
母は変な顔をして呆然《ぼうぜん》として立
前へ
次へ
全488ページ中462ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング