いに……」と顔を上げた時、宗近君は鼻の先にいた。顔を押しつけるようにして云う。――
「こう云う危《あや》うい時に、生れつきを敲《たた》き直して置かないと、生涯《しょうがい》不安でしまうよ。いくら勉強しても、いくら学者になっても取り返しはつかない。ここだよ、小野さん、真面目《まじめ》になるのは。世の中に真面目は、どんなものか一生知らずに済んでしまう人間がいくらもある。皮《かわ》だけで生きている人間は、土《つち》だけで出来ている人形とそう違わない。真面目がなければだが、あるのに人形になるのはもったいない。真面目になった後《あと》は心持がいいものだよ。君にそう云う経験があるかい」
 小野さんは首を垂れた。
「なければ、一つなって見たまえ、今だ。こんな事は生涯に二度とは来ない。この機をはずすと、もう駄目だ。生涯|真面目《まじめ》の味を知らずに死んでしまう。死ぬまでむく犬のようにうろうろして不安ばかりだ。人間は真面目になる機会が重なれば重なるほど出来上ってくる。人間らしい気持がしてくる。――法螺《ほら》じゃない。自分で経験して見ないうちは分らない。僕はこの通り学問もない、勉強もしない、落第もする
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