。
「甲野さん。頼むから来てくれ。僕や阿父《おやじ》のためはとにかく、糸公のために来てやってくれ」
「糸公のために?」
「糸公は君の知己だよ。御叔母《おば》さんや藤尾さんが君を誤解しても、僕が君を見損《みそこ》なっても、日本中がことごとく君に迫害を加えても、糸公だけはたしかだよ。糸公は学問も才気もないが、よく君の価値《ねうち》を解している。君の胸の中を知り抜いている。糸公は僕の妹だが、えらい女だ。尊《たっと》い女だ。糸公は金が一文もなくっても堕落する気遣《きづかい》のない女だ。――甲野さん、糸公を貰ってやってくれ。家《うち》を出ても好い。山の中へ這入《はい》っても好い。どこへ行ってどう流浪《るろう》しても構わない。何でも好いから糸公を連れて行ってやってくれ。――僕は責任をもって糸公に受合って来たんだ。君が云う事を聞いてくれないと妹に合す顔がない。たった一人の妹を殺さなくっちゃならない。糸公は尊《たっと》い女だ、誠のある女だ。正直だよ、君のためなら何でもするよ。殺すのはもったいない」
宗近君は骨張った甲野さんの肩を椅子の上で振り動かした。
十八
小夜子《さよこ》は
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