三日立って善《よ》い智慧《ちえ》が出なければ、その時こそ仕方がない。浅井を捕《つらま》えて、孤堂先生への談判を頼んでしまう。実はさっきもその考で、浅井の帰りを勘定に入れて、二三日の猶予をと云った。こんな事は人情に拘泥《こうでい》しない浅井に限る。自分のような情に篤《あつ》いものはとうてい断わり切れない。――小野さんはこう考えて歩いて行く。
 月はまだ天《そら》のなかにいる。流れんとして流るる気色《けしき》も見えぬ。地に落つる光は、冴《さ》ゆる暇なきを、重たき温気《おんき》に封じ込められて、限りなき大夢を半空に曳《ひ》く。乏しい星は雲を潜《くぐ》って向側《むこうがわ》へ抜けそうに見える。綿のなかに砲弾を打ち込んだのが辛《かろ》うじて輝やくようだ。静かに重い宵である。小野さんはこのなかを考えながら歩いて行く。今夜は半鐘も鳴るまい。

        十五

 部屋は南を向く。仏蘭西式《フランスしき》の窓は床《ゆか》を去る事五寸にして、すぐ硝子《ガラス》となる。明《あ》け放てば日が這入《はい》る。温《あたた》かい風が這入る。日は椅子《いす》の足で留まる。風は留まる事を知らぬ故、容赦なく天井《
前へ 次へ
全488ページ中334ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング