と保証がつけば、観音《かんのん》様へ御百度を踏んでも構わない。不動様へ護摩《ごま》を上げても宜《よろ》しい。耶蘇教《ヤソきょう》の信者には無論なる。小野さんは歩きながら神の必要を感じた。
宗近と云う男は学問も出来ない、勉強もしない。詩趣も解しない。あれで将来何になる気かと不思議に思う事がある。何が出来るものかと軽蔑《さげす》む事もある。露骨でいやになる事もある。しかし今更のように考えて見ると、あの態度は自分にはとうてい出来ない態度である。出来ないからこちらが劣っていると結論はせん。世の中には出来もせぬが、またしたくもない事がある。箸《はし》の先で皿を廻す芸当は出来るより出来ない方が上品だと思う。宗近の言語動作は無論自分には出来にくい。しかし出来にくいから、かえって自分の名誉だと今までは心得ていた。あの男の前へ出ると何だか圧迫を受ける。不愉快である。個人の義務は相手に愉快を与えるが専一と思う。宗近は社交の第一要義にも通じておらん。あんな男はただの世の中でも成功は出来ん。外交官の試験に落第するのは当り前である。
しかしあの男の前へ出て感じる圧迫は一種妙である。露骨から来るのか、単調から
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