、後がないのを確かめたいような様子である。
「うん」と宗近君は云った。
「蔦屋の下女は……」
「そっちへ曲るのかい」
「もう少し、どうです、散歩は」
「もう好い加減に引き返そう。さあ大事の紙屑籠。落さないように持って行くがいい」
小野さんは恭《うやうや》しく屑籠を受取った。宗近君は飄然《ひょうぜん》として去る。
一人になると急ぎたくなる。急げば早く孤堂先生の家《うち》へ着く。着くのはありがたくない。孤堂先生の家へ急ぎたいのではない。小野さんは何だか急ぎたいのである。両手は塞《ふさが》っている。足は動いている。恩賜の時計は胴衣《チョッキ》のなかで鳴っている。往来は賑《にぎや》かである。――すべてのものを忘れて、小野さんの頭は急いでいる。早くしなければならん。しかしどうして早くして好いか分らない。ただ一昼夜が十二時間に縮まって、運命の車が思う方角へ全速力で廻転してくれるよりほかに致し方はない。進んで自然の法則を破るほどな不料簡《ふりょうけん》は起さぬつもりである。しかし自然の方で、少しは事情を斟酌《しんしゃく》して、自分の味方になって働らいてくれても好さそうなものだ。そうなる事は受合だ
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