椽側《えんがわ》の方を見た。野面《のづら》の御影《みかげ》に、乾かぬ露が降りて、いつまでも湿《しっ》とりと眺《なが》められる径《わたし》二尺の、縁《ふち》を択《えら》んで、鷺草《さぎそう》とも菫《すみれ》とも片づかぬ花が、数を乏しく、行く春を偸《ぬす》んで、ひそかに咲いている。
「美しい花が咲いている」
「どこに」
糸子の目には正面の赤松と根方《ねがた》にあしらった熊笹《くまざさ》が見えるのみである。
「どこに」と暖い顎《あご》を延ばして向《むこう》を眺める。
「あすこに。――そこからは見えない」
糸子は少し腰を上げた。長い袖《そで》をふらつかせながら、二三歩|膝頭《ひざがしら》で椽《えん》に近く擦《す》り寄って来る。二人の距離が鼻の先に逼《せま》ると共に微《かす》かな花は見えた。
「あら」と女は留《とま》る。
「奇麗でしょう」
「ええ」
「知らなかったんですか」
「いいえ、ちっとも」
「あんまり小さいから気がつかない。いつ咲いて、いつ消えるか分らない」
「やっぱり桃や桜の方が奇麗でいいのね」
甲野さんは返事をせずに、ただ口のうちで
「憐れな花だ」と云った。糸子は黙っている。
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