えて、清を呼べば、清は裏へでも行ったらしい。からりとした勝手には茶釜《ちゃがま》ばかりが静かに光っている。黒田さんは例のごとく、書生部屋で、坊主頭を腕の中に埋《うず》めて、机の上に猫のように寝ているだろう。立《た》ち退《の》いた空屋敷《あきやしき》とも思わるるなかに、内玄関《ないげんかん》でこちこち音がする。はてなと何気なく障子を明けると――広い世界にたった一人の甲野さんが立っている。格子《こうし》から差す戸外《そと》の日影を背に受けて、薄暗く高い身を、合土《たたき》の真中に動かしもせず、しきりに杖を鳴らしている。
「あら」
同時に杖の音《ね》はとまる。甲野さんは帽の廂《ひさし》の下から女の顔を久しぶりのように見た。女は急に眼をはずして、細い杖の先を眺める。杖の先から熱いものが上《のぼ》って、顔がぽうとほてる。油を抜いて、なすがままにふくらました髪を、落すがごとく前に、糸子は腰を折った。
「御出《おいで》?」と甲野さんは言葉の尻を上げて簡単に聞く。
「今ちょっと」と答えたのみで、苦のない二重瞼《ふたえまぶた》に愛嬌《あいきょう》の波が寄った。
「御留守ですか。――阿爺《おとっ》さんは
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