さんから遠退《とおの》いた。一歩門へ近寄った小野さんの靴は同時に一歩杖に牽《ひ》かれて故《もと》へ帰る。運命は無限の空間に甲野さんの杖と小野さんの足を置いて、一尺の間隔を争わしている。この杖とこの靴は人格である。我らの魂は時あって靴の踵《かかと》に宿り、時あって杖の先に潜む。魂を描《えが》く事を知らぬ小説家は杖と靴とを描く。
 一歩の空間を行き尽した靴は、光る頭《こうべ》を回《めぐ》らして、棄身《すてみ》に細い体を大地に托した杖に問いかけた。
「藤尾さんも、昨夕いっしょに行ったのかい」
 棒のごとく真直《まっすぐ》に立ち上がった杖は答える。
「ああ、藤尾も行った。――ことに因《よ》ると今日は下読が出来ていないかも知れない」
 細い杖は地に着くがごとく、また地を離るるがごとく、立つと思えば傾むき、傾むくと思えば立ち、無限の空間を刻んで行く。光る靴は突き込んだ頭に薄い泥を心持わるく被《かぶ》ったまま、遠慮勝に門内の砂利を踏んで玄関に掛《か》かる。
 小野さんが玄関に掛かると同時に、藤尾は椽の柱に倚《よ》りながら、席に返らぬ爪先《つまさき》を、雨戸引く溝の上に翳《かざ》して、手広く囲い込んだ
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