は」と聞いて見る。
小夜子はまた口籠《くちごも》る。東京が好いか悪いかは、目の前に、西洋の臭《におい》のする煙草を燻《くゆ》らしている青年の心掛一つできまる問題である。船頭が客人に、あなたは船が好きですかと聞いた時、好きも嫌《きらい》も御前の舵《かじ》の取りよう一つさと答えなければならない場合がある。責任のある船頭にこんな質問を掛けられるほど腹の立つ事はないように、自分の好悪《こうお》を支配する人間から、素知らぬ顔ですき[#「すき」に傍点]かきらい[#「きらい」に傍点]かを尋ねられるのは恨《うら》めしい。小夜子はまた口籠る。小野さんはなぜこう豁達《はきはき》せぬのかと思う。
胴衣《チョッキ》の隠袋《かくし》から時計を出して見る。
「どちらへか御出掛で」と女はすぐ悟った。
「ええ、ちょっと」と旨《うま》い具合に渡し込む。
女はまた口籠る。男は少し焦慮《じれった》くなる。藤尾が待っているだろう。――しばらくは無言である。
「実は父が……」と小夜子はやっとの思で口を切った。
「はあ、何か御用ですか」
「いろいろ買物がしたいんですが……」
「なるほど」
「もし、御閑《おひま》ならば、小野
前へ
次へ
全488ページ中239ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング