は論文よりも大切である。小野さんはぱたりと書物を伏せた。
芭蕉布《ばしょうふ》の襖《ふすま》を開けると、押入の上段は夜具、下には柳行李《やなぎこうり》が見える。小野さんは行李の上に畳んである背広《せびろ》を出して手早く着換《きか》え終る。帽子は壁に主《ぬし》を待つ。がらりと障子を明けて、赤い鼻緒《はなお》の上草履《うわぞうり》に、カシミヤの靴足袋《くつたび》を無理に突き込んだ時、下女が来る。
「おや御出掛。少し御待ちなさいよ」
「何だ」と草履から顔を上げる。下女は笑っている。
「何か用かい」
「ええ」とやっぱり笑っている。
「何だ。冗談《じょうだん》か」と行こうとすると、卸《おろ》し立ての草履が片方《かたかた》足を離れて、拭き込んだ廊下を洋灯《ランプ》部屋の方へ滑って行く。
「ホホホホ余《あん》まり周章《あわて》るもんだから。御客様ですよ」
「誰だい」
「あら待ってた癖に空っとぼけて……」
「待ってた? 何を」
「ホホホホ大変|真面目《まじめ》ですね」と笑いながら、返事も待たず、入口へ引き返す。小野さんは気掛《きがかり》な顔をして障子の傍《そば》に上草履を揃《そろ》えたまま廊下の突き
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