に踏む余地を尺寸《せきすん》に見出して、安々と踵《かかと》を着ける心持がやっと有ったなと思ううち、もう後《うし》ろから前へ押し出される。歩くとは思えない。歩かぬとは無論云えぬ。小夜子は夢のように心細くなる。孤堂先生は過去の人間を圧し潰《つぶ》すために皆《みんな》が揉むのではないかと恐ろしがる。小野さんだけは比較的得意である。多勢《たぜい》の間に立って、多数より優《すぐ》れたりとの自覚あるものは、身動きが出来ぬ時ですら得意である。博覧会は当世である。イルミネーションはもっとも当世である。驚ろかんとしてここにあつまる者は皆当世的の男と女である。ただあっと云って、当世的に生存《せいそん》の自覚を強くするためである。御互に御互の顔を見て、御互の世は当世だと黙契して、自己の勢力を多数と認識したる後《のち》家に帰って安眠するためである。小野さんはこの多数の当世のうちで、もっとも当世なものである。得意なのは無理もない。
得意な小野さんは同時に失意である。自分一人でこそ誰が眼にも当世に見える。申し分のあるはずがない。しかし時代後れの御荷物を丁寧に二人まで背負《しょ》って、幅の利《き》かぬ過去と同一体
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