だと当世から見られるのは、ただ見られるのではない、見咎《みとが》められるも同然である。芝居に行って、自分の着ている羽織の紋の大《おおき》さが、時代か時代後れか、そればかりが気になって、見物にはいっこう身が入らぬものさえある。小野さんは肩身が狭い。人の波の許す限り早く歩く。
「阿爺《おとうさん》、大丈夫」と後《うしろ》から呼ぶ。
「ああ大丈夫だよ」と知らぬ人を間に挟んだまま一軒置いて返事がある。
「何だか危なくって……」
「なに自然《じねん》に押して行けば世話はない」と挟《はさ》まった人をやり過ごして、苦しいところを娘といっしょになる。
「押されるばかりで、ちっとも押せやしないわ」と娘は落ちつかぬながら、薄い片頬《かたほ》に笑《えみ》を見せる。
「押さなくってもいいから、押されるだけ押されるさ」と云ううち二人は前へ出る。巡査の提灯《ちょうちん》が孤堂先生の黒い帽子を掠《かす》めて動いた。
「小野はどうしたかね」
「あすこよ」と眼元で指《さ》す。手を出せば人の肩で遮《さえ》ぎられる。
「どこに」と孤堂先生は足を揃《そろ》える暇もなく、そのまま日和下駄《ひよりげた》の前歯を傾けて背延《せいの
前へ 次へ
全488ページ中219ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング