生を享《う》けて、しきりに鍋の底を攪《か》き廻しているとは思いも寄らぬ。唐木《からき》の机に唐刻の法帖《ほうじょう》を乗せて、厚い坐布団の上に、信濃《しなの》の国に立つ煙、立つ煙と、大きな腹の中から鉢《はち》の木《き》を謡《うた》っている。謎の女はしだいに近づいてくる。
悲劇マクベスの妖婆《ようば》は鍋《なべ》の中に天下の雑物《ぞうもつ》を攫《さら》い込んだ。石の影に三十日《みそか》の毒を人知れず吹く夜《よる》の蟇《ひき》と、燃ゆる腹を黒き背《せ》に蔵《かく》す蠑※[#「虫+原」、第3水準1−91−60]《いもり》の胆《きも》と、蛇の眼《まなこ》と蝙蝠《かわほり》の爪と、――鍋はぐらぐらと煮える。妖婆はぐるりぐるりと鍋を廻る。枯れ果てて尖《とが》れる爪は、世を咀《のろ》う幾代《いくよ》の錆《さび》に瘠《や》せ尽くしたる鉄《くろがね》の火箸《ひばし》を握る。煮え立った鍋はどろどろの波を泡《あわ》と共に起す。――読む人は怖ろしいと云う。
それは芝居である。謎の女はそんな気味の悪い事はせぬ。住むは都である。時は二十世紀である。乗り込んで来るのは真昼間《まっぴるま》である。鍋の底からは愛嬌
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