ながら何にも知らぬ。
 ただ老人だけは太平である。天下の興廃は叡山|一刹《いっさつ》の指揮によって、夜来《やらい》、日来《にちらい》に面目を新たにするものじゃと思い籠《こ》めたように、※[#「女+尾」、第3水準1−15−81]々《びび》として叡山を説く。説くは固《もと》より青年に対する親切から出る。ただ青年は少々迷惑である。
「不便だって、修業のためにわざわざ、ああ云う山を択《えら》んで開くのさ。今の大学などはあまり便利な所にあるから、みんな贅沢《ぜいたく》になって行かん。書生の癖に西洋菓子だの、ホイスキーだのと云って……」
 宗近君は妙な顔をして甲野さんを見た。甲野さんは存外|真面目《まじめ》である。
「阿爺《おとっさん》叡山の坊主は夜十一時頃から坂本まで蕎麦《そば》を食いに行くそうですよ」
「アハハハ真逆《まさか》」
「なに本当ですよ。ねえ甲野さん。――いくら不便だって食いたいものは食いたいですからね」
「それはのらくら[#「のらくら」に傍点]坊主だろう」
「すると僕らはのらくら[#「のらくら」に傍点]書生かな」
「御前達はのらくら[#「のらくら」に傍点]以上だ」
「僕らは以上でも
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