いいが――坂本までは山道二里ばかりありますぜ」
「あるだろう、そのくらいは」
「それを夜の十一時から下りて、蕎麦を食って、それからまた登るんですからね」
「だから、どうなんだい」
「到底《とても》のらくら[#「のらくら」に傍点]じゃ出来ない仕事ですよ」
「アハハハハ」と老人は大きな腹を競《せ》り出して笑った。洋灯《ランプ》の蓋《かさ》が喫驚《びっくり》するくらいな声である。
「あれでも昔しは真面目な坊主がいたものでしょうか」と今度は甲野さんがふと思い出したような様子で聞いて見る。
「それは今でもあるよ。真面目なものが世の中に少ないごとく、僧侶《そうりょ》にも多くはないが――しかし今だって全く無い事はない。何しろ古い寺だからね。あれは始めは一乗止観院《いちじょうしかんいん》と云って、延暦寺となったのはだいぶ後《あと》の事だ。その時分から妙な行《ぎょう》があって、十二年間山へ籠《こも》り切りに籠るんだそうだがね」
「蕎麦どころじゃありませんね」
「どうして。――何しろ一度も下山しないんだから」
「そう山の中で年ばかり取ってどうする了見《りょうけん》かな」
と宗近君が今度は独語《ひとりごと》
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