だろう」
「あんまり下手だから一本負けたつもりだろう」
「筍の真青《まっさお》なのはなぜだろう」
「食うと中毒《あた》ると云う謎《なぞ》なんだろう」
「やっぱり謎か。君だって謎を釈《と》くじゃないか」
「ハハハハ。時々は釈いて見るね。時に僕がさっきから島田の謎を解いてやろうと云うのに、いっこう釈かせないのは哲学者にも似合わん不熱心な事だと思うがね」
「釈きたければ釈くさ。そうもったいぶったって、頭を下げるような哲学者じゃない」
「それじゃ、ひとまず安っぽく釈いてしまって、後《あと》から頭を下げさせる事にしよう。――あのね、あの琴の主はね」
「うん」
「僕が見たんだよ」
「そりゃ今聴いた」
「そうか。それじゃ別に話す事もない」
「なければ、いいさ」
「いや好くない。それじゃ話す。昨日《きのう》ね、僕が湯から上がって、椽側《えんがわ》で肌を抜いで涼んでいると――聴きたいだろう――僕が何気なく鴨東《おうとう》の景色《けしき》を見廻わして、ああ好い心持ちだとふと眼を落して隣家を見下すと、あの娘が障子《しょうじ》を半分開けて、開けた障子に靠《も》たれかかって庭を見ていたのさ」
「別嬪《べっぴん》かね」
「ああ別嬪だよ。藤尾さんよりわるいが糸公《いとこう》より好いようだ」
「そうかい」
「それっきりじゃ、余《あん》まり他愛《たあい》が無さ過ぎる。そりゃ残念な事をした、僕も見ればよかったぐらい義理にも云うがいい」
「そりゃ残念な事をした、僕も見ればよかった」
「ハハハハだから見せてやるから椽側《えんがわ》まで出て来いと云うのに」
「だって障子は締ってるんじゃないか」
「そのうち開《あ》くかも知れないさ」
「ハハハハ小野なら障子の開くまで待ってるかも知れない」
「そうだね。小野を連れて来て見せてやれば好かった」
「京都はああ云う人間が住むに好い所だ」
「うん全く小野的だ。大将、来いと云うのになんのかのと云って、とうとう来ない」
「春休みに勉強しようと云うんだろう」
「春休みに勉強が出来るものか」
「あんな風じゃいつだって勉強が出来やしない。一体文学者は軽いからいけない」
「少々耳が痛いね。こっちも余まり重くはない方だからね」
「いえ、単なる文学者と云うものは霞《かすみ》に酔ってぽうっとしているばかりで、霞を披《ひら》いて本体を見つけようとしないから性根《しょうね》がないよ」
「霞の
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