うですね」と小野さんは、うまいところで話頭を転換した。
「まるであなた鉄砲玉のようで――あれも、始終《しじゅう》身体《からだ》が悪いとか申して、ぐずぐずしておりますから、それならば、ちと旅行でもして判然《はきはき》したらよかろうと申しましてね――でも、まだ、何だかだと駄々を捏《こ》ねて、動かないのを、ようやく宗近に頼んで連れ出して貰《もら》いました。ところがまるで鉄砲玉で。若いものと申すものは……」
「若いって兄さんは特別ですよ。哲学で超絶しているんだから特別ですよ」
「そうかね、御母さんには何だか分らないけれども――それにあなた、あの宗近と云うのが大の呑気屋《のんきや》で、あれこそ本当の鉄砲玉で、随分の困りものでしてね」
「アハハハ快活な面白い人ですな」
「宗近と云えば、御前《おまい》さっきのものはどこにあるのかい」と御母さんは、きりりとした眼を上げて部屋のうちを見廻わす。
「ここです」と藤尾は、軽く諸膝《もろひざ》を斜《なな》めに立てて、青畳の上に、八反《はったん》の座布団《ざぶとん》をさらりと滑《す》べらせる。富貴《ふうき》の色は蜷局《とぐろ》を三重に巻いた鎖の中に、堆《うずたか》く七子《ななこ》の蓋《ふた》を盛り上げている。
右手を伸《の》べて、輝くものを戛然《かつぜん》と鳴らすよと思う間《ま》に、掌《たなごころ》より滑る鎖が、やおら畳に落ちんとして、一尺の長さに喰《く》い留《と》められると、余る力を横に抜いて、端《はじ》につけた柘榴石《ガーネット》の飾りと共に、長いものがふらりふらりと二三度揺れる。第一の波は紅《くれない》の珠《たま》に女の白き腕《かいな》を打つ。第二の波は観世《かんぜ》に動いて、軽く袖口《そでくち》にあたる。第三の波のまさに静まらんとするとき、女は衝《つ》と立ち上がった。
奇麗な色が、二色、三色入り乱れて、疾《と》く動く景色《けしき》を、茫然《ぼうぜん》と眺《なが》めていた小野さんの前へぴたりと坐った藤尾は
「御母《おかあ》さん」と後《うしろ》を顧《かえり》みながら、
「こうすると引き立ちますよ」と云って故《もと》の席に返る。小野さんの胴衣《チョッキ》の胸には松葉形に組んだ金の鎖が、釦《ボタン》の穴を左右に抜けて、黒ずんだメルトン地を背景に燦爛《さんらん》と耀《かが》やいている。
「どうです」と藤尾が云う。
「なるほど善《よ》く似合い
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