に若い女があるとすれば近い内貰うはずの宇野の娘に相違ないと自分で見解を下《くだ》して独りで心配しているのさ」
「だって、まだ君の所へは来んのだろう」
「来んうちから心配をするから取越《とりこし》苦労さ」
「何だか洒落《しゃれ》か真面目か分らなくなって来たぜ」
「まるで御話にも何もなりゃしない。ところで近頃僕の家の近辺で野良犬《のらいぬ》が遠吠《とおぼえ》をやり出したんだ。……」
「犬の遠吠と婆さんとは何か関係があるのかい。僕には聯想さえ浮ばんが」と津田君はいかに得意の心理学でもこれは説明が出来《でき》悪《にく》いとちょっと眉《まゆ》を寄せる。余はわざと落ちつき払って御茶を一杯と云う。相馬焼の茶碗は安くて俗な者である。もとは貧乏士族が内職に焼いたとさえ伝聞している。津田君が三十匁の出殻《でがら》を浪々《なみなみ》この安茶碗についでくれた時余は何となく厭《いや》な心持がして飲む気がしなくなった。茶碗の底を見ると狩野法眼《かのうほうげん》元信流《もとのぶりゅう》の馬が勢よく跳《は》ねている。安いに似合わず活溌《かっぱつ》な馬だと感心はしたが、馬に感心したからと云って飲みたくない茶を飲む義理も
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