て増長して出たくならあね」と刃《は》についた毛を人さし指と拇指《おやゆび》で拭《ぬぐ》いながらまた源さんに話しかける。
「全く神経だ」と源さんが山桜の煙を口から吹き出しながら賛成する。
「神経って者は源さんどこにあるんだろう」と由公はランプのホヤを拭《ふ》きながら真面目に質問する。
「神経か、神経は御めえ方々にあらあな」と源さんの答弁は少々|漠然《ばくぜん》としている。
白暖簾《しろのれん》の懸《かか》った座敷の入口に腰を掛けて、さっきから手垢《てあか》のついた薄っぺらな本を見ていた松さんが急に大きな声を出して面白い事がかいてあらあ、よっぽど面白いと一人で笑い出す。
「何だい小説か、食道楽《くいどうらく》じゃねえか」と源さんが聞くと松さんはそうよそうかも知れねえと上表紙《うわびょうし》を見る。標題には浮世心理講義録《うきよしんりこうぎろく》有耶無耶道人著《うやむやどうじんちょ》とかいてある。
「何だか長い名だ、とにかく食道楽じゃねえ。鎌《かま》さん一体これゃ何の本だい」と余の耳に髪剃《かみそり》を入れてぐるぐる廻転させている職人に聞く。
「何だか、訳の分らないような、とぼけた事が書い
前へ
次へ
全51ページ中46ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング