枕元で例の通り他愛《たわい》もない話をしておった時、病人が袖《そで》口の綻《ほころ》びから綿が出懸《でかか》っているのを気にして、よせと云うのを無理に蒲団の上へ起き直って縫ってくれた事をすぐ聯想《れんそう》する。あの時は顔色が少し悪いばかりで笑い声さえ常とは変らなかったのに――当人ももうだいぶ好《よ》くなったから明日《あした》あたりから床《とこ》を上げましょうとさえ言ったのに――今、眼の前に露子の姿を浮べて見ると――浮べて見るのではない、自然に浮んで来るのだが――頭へ氷嚢《ひょうのう》を載《の》せて、長い髪を半分|濡《ぬ》らして、うんうん呻《うめ》きながら、枕の上へのり出してくる。――いよいよ肺炎かしらと思う。しかし肺炎にでもなったら何とか知らせが来るはずだ。使も手紙も来ない所をもって見るとやっぱり病気は全快したに相違ない、大丈夫だ、と断定して眠ろうとする。合わす瞳《ひとみ》の底に露子の青白い肉の落ちた頬と、窪《くぼ》んで硝子張《ガラスばり》のように凄《すご》い眼がありありと写る。どうも病気は癒《なお》っておらぬらしい。しらせはまだ来ぬが、来ぬと云う事が安心にはならん。今に来るかも知れ
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